悲しみが消えないのは、おかしなことではありません
ペットちゃんを見送ったあと、思っていた以上に心が苦しくなり、自分でも戸惑ってしまうことがあります。
「こんなに悲しいなんておかしいのかな」
「いつまでも引きずっていてはいけないのでは」
「家族や周りは普段通りなのに、自分だけ立ち直れていない気がする」
そのように感じてしまう方は、少なくありません。
けれど、ペットロスは決して特別なことではありません。大切な存在を失ったときに悲しくなるのは、とても自然なことです。毎日一緒に過ごし、声をかけ、ごはんを用意し、体調を気にかけ、気配を感じながら暮らしていた相手です。たとえ言葉を交わさなくても、そこには確かに家族としての時間がありました。
日常のあらゆる場面に、その子がいたからこそつらいのです
だからこそ、いなくなったあとの寂しさは大きくなります。
朝起きたとき、帰宅したとき、ごはんの時間、眠る前。日常のあらゆる場面に、その子がいた痕跡があります。そのひとつひとつに触れるたびに、胸が締めつけられるような気持ちになるのは、ごく自然なことです。
悲しみが長く続くと、「早く元気にならなきゃ」と自分を急かしてしまうことがあります。ですが、気持ちは予定通りには整理できません。大切な存在を失った悲しみには、人それぞれの時間が必要です。
数日で落ち着く方もいれば、何か月、あるいはもっと長い時間をかけて少しずつ受け止めていく方もいます。どちらが正しい、間違っているということではありません。
悲しみ方にも正解はありません
また、悲しみ方にも正解はありません。
たくさん泣く方もいれば、気丈にふるまう方もいます。写真を見返して涙が止まらなくなる方もいれば、つらくてまだ見られない方もいます。何もしたくなくなる日もあれば、逆に普段通り動いていないと落ち着かない方もいます。そのどれもが、その人なりの悲しみ方です。
「自分は冷たいのではないか」
「こんなに泣くなんて弱いのではないか」
そんなふうに自分を責める必要はありません。
むしろ、それだけ心が動いているのは、その子との時間が本物だったからです。深く関わり、愛し、大切にしてきたからこそ、失ったときの喪失感も大きくなるのです。
「人との別れよりつらい」と感じても不思議ではありません
ペットちゃんは、ただ一緒に暮らす存在ではありません。嬉しいときも、つらいときも、何気ない日々の中でも、そっとそばにいてくれる存在です。言葉はなくても、こちらの気持ちを感じ取ってくれているように思えたり、ただ近くにいるだけで安心できたりすることもあります。
そのような存在を見送ったあと、心にぽっかり穴があいたようになるのは当然です。
中には、「人との別れよりつらい」と感じて戸惑う方もいます。ですが、それも不思議なことではありません。生活の中で毎日密に関わっていた存在だからこそ、喪失感が非常に大きくなることがあります。比べる必要はありません。つらいものは、つらいのです。
悲しみは、急いで終わらせるものではありません
大切なのは、悲しみを無理に消そうとしないことです。忘れよう、考えないようにしよう、と押し込めるほど、かえって苦しくなってしまうこともあります。
悲しい日は悲しいままで大丈夫です。会いたい日は会いたいと思って大丈夫です。写真に話しかけたり、名前を呼んだり、思い出して涙が出たりしても、それはおかしなことではありません。
悲しみは、急いで終わらせるものではなく、少しずつ形を変えていくものです。最初は痛みのように強かった気持ちも、時間とともに、やわらかな思い出へと少しずつ変わっていくことがあります。もちろん、その途中でまたつらくなる日もあります。でもそれも含めて、その子を大切に想っている証です。
今はそのままの心でいてください
今はまだ、前向きになれなくても大丈夫です。無理に元気になろうとしなくても構いません。その子と過ごした時間が大切だったこと、今も大切に思っていること、それだけで十分です。
悲しみが消えないのは、弱いからではありません。それだけ大きな愛情があったからです。どうかご自身の気持ちを責めず、今はそのままの心でいてください。ゆっくりで大丈夫です。
